借金90万、家出人の真正クズのわたし
タイトルの通りです。クズなんです、わたしは。
ブログは良いですね。匿名だから、嘘偽りなく書けるね。
わたしの家は母が精神的な病を抱えていて、妹は発達障害を抱えていて、そして、機能不全家庭でした。
機能不全家庭の基準は、「機能不全だ」と感じればもう、機能不全家庭なんだそう。わたしがこう語っていることを知ったら、たぶん家族は怒ると思います。あんなに恵まれて、お前だけは良い目を見て、何が機能不全だって。
嫌なことばっかりじゃなかった。優しい思い出もあたたかい思い出も数えきれないし、きっと愛されて育ったのだと思います。
でも今、結果として、恐らくわたしはアダルトチルドレンだと思います。家での出来事が2日に一度は悪い夢として思い出されて、心臓がバクバク鳴って、朝、目が覚めます。
わたしはそういう家庭でのいろんな事情のために、大学を中退して、中退してからの2年間も、何一つ自分の好きにはできませんでした。生活のすべてが、家族のためでした。
だからある日突然、家を出ました。家族も何かもかも、みんな置いて。
そうして一人で生活を始めたはいいものの、社会生活も、そもそも自分のことも何一つ知らなかったわたしは、たった一人で生きていくことの大変さをまざまざ思い知らされました。仕事に就いたけれど、対人恐怖症になり、自分のHSPの特性に初めて気付き、仕事に行けなくなりました。 そもそも一人で生きていくって、ただ生きていくだけですごくお金がかかるんですよね。 少しずつ、少しずつ借りていたつもりが、気が付いたら90万になっていました。まだ全然、返せていません。返すどころか、督促が来ている最中です。毎日電話がかかってきます。
そしてそのことを、一緒に暮らしている彼にも、話せていません。
今日、妹からメールが来ていました。家を出て以来、2年振りの連絡でした。
家を出て行ったわたしへの恨み辛みと、最近、実家にも督促の電話が来ている旨が書いてありました。
すごい衝撃でした。まだ心臓バクバクしてる。すごくすごく、怖いです。
でもそのメールを見て、決心しました。
とにかくお金を返そう。家族にそういう迷惑をかけるのはやめよう。
そして、彼にこのことをちゃんと話そうって。
書いた通り、わたしはクズです。ドクズです。
社会に顔向けできるような生き方はしてきてません。
彼が真っ当に生きていて、それがまぶしくて、苦しくなる時があります。隣にいるわたしがこんなクズでほんとうにごめんねって。
わたしはドクズだけれど、少なくとも家を出たことは、後悔していません。
だって家にいたとしてもやっぱり、わたしにできることは何もないもん。家にいて、好きなことができないストレスばかり募って、家族を呪って境遇を呪って、家族と喧嘩して…。家にいようが家を出ようが、わたしは何もできないし、恨まれるんです。それに、わたしの人生の責任は、誰も取ってくれないもん。
お金借りたことも、後悔してません。 だってそれしか生きる術が無かったんだもん。
後悔してるのは督促の電話が実家にいく前に対処できなかったこと。彼にもっともっと早く、正直に話せなかったこと。
家族から一生恨まれようが彼に嫌われようが、それはわたしのしたことのツケです。
でもわたしは、その責任を取りたい。
こういうことになって責任を取らなきゃいけなくなったけど、家を出ない人生より、生活できなくて投げやりになって自殺する人生より、ずっと良かった。
この人生を選んでよかった。はっきりそう言えます。
お金を返すことは、大変だけど健全だからいい。 でも彼に話すことが、まだ怖い。 家賃の返済が滞った時もぎりぎりまで話してなくてめちゃくちゃ呆れられたし怒られました。その時も、「もう隠してることないね?」って言われたけど、言えなかった。
たぶん彼は、わたしに借金があることと同じかそれ以上に、わたしが彼にずっと隠し事をしていたことにショックを受けると思います。
嫌われちゃうかなぁ…。
彼に「立て替えるから後で俺に返して」と言われてはたまらないので(言いかねない)、来月法律事務所に相談して、債務整理に着手してもらってから言おうと思います。
嫌われてわたしが悲しいのはわたしのツケなので受け入れたいんですが、嫌いになって、わたしを信じられなくなって悲しくなる彼は、完全にとばっちりだし、その時はもう、何もしてあげられないし…。
ほんとはわたしも、嫌われたくないです。ずっと一緒にいたかった。でもやっぱり無理かな。一緒になんていられないかな。
たぶんわたしは一生彼を愛するんです。
ああもうしんどいな。ばかだな。早く言っておけばよかったよ。 ごめんね…。
でもせめて、こうしてブログで言えてよかったです。すっきりした…。
今後のことはこれからも載せていきます。同じようなクズの勇気になれたら嬉しい。そう、そもそもそういうつもりで、このブログを始めたんです。
わたしはきっと地獄に落ちるけれど、でも絶対、幸せになってみせます。だってそのために生まれてきた。
家族に一生恨まれても彼と一緒にいられなくなっても、わたしが死なない限りはわたしの人生は続くんです。 死ぬ間際、「結局何もかも、これでよかったんだ」って思いたい。思ってみせるから。 ドクズも、生き物です。 幸せになっていいって信じていたい。
でも彼は、絶対に失くしたくない二つのうちの一つだった。音楽と、彼。 彼を失くしたらわたしは死ぬくらい辛いだろうな。嫌われても信用を失っても傷付けても、彼を一生愛すると思う。 ああ…しんどいな。 ほんとうに一生一緒にいたかった。彼がいて音楽があれば他に何も、何もいらなかった。
早く言えばよかった。そしたら今よりまだ、傷付けることも無かったのにな。
でも早く言いたいです。もう心が痛いもの。
また経過をお話しますね。
わたし
好きなことだけして生きていこう
この前、「彼氏以外の人と遊んでも楽しくない」という記事を書いたのですが(http://nibiir0aquarium.hatenadiary.jp/entry/2018/02/16/193500)、昨日彼とおしゃべりしていたら、彼が「5月にビバラロックに行こう」と誘ってくれて。
で、そう言われたわたしが最初に何を思ったかというと、
…めんどくさいなぁ…。
って笑
でもちょっと行きたい気持ちもあるし、一緒にいたいし、曖昧に返事をしたら、即行チケットを取ってくれて。
ひとまず行くことになったのですが、あらわたし、彼なら何してても楽しいわけじゃないのか、困ったわ…って思いまして笑
(彼氏があんまり遊びに連れて行ってくれない!やだ!っていう女の子もたくさんいるのにね笑)
今朝、なぜだろう…って考えました。わかりました。
わたしの中には①どんな気分でも絶対やりたい/行きたい ②やりたい/行きたいけど、気分によってはやりたくない/行きたくない ③基本的にやりたくない/行きたくない の3つの段階があって、今まで3つがごちゃごちゃになっていたんだと思います。
曲者なのが②で、一見②に見えても、よくよく見ると①だったものもあれば、③だったものもあるのです。
ビバラロックは、一見②でしたが、よくよく見てみたら①でした。たぶんビバラロックがめんどくさかったのではなくて、「ビバラロックのためにお金を貯めること」がめんどくさかったのだと思います。(わたしはホンットーに貯金ゼロなのです。)もっと言うと、「『お金を貯めなきゃ』と思いながら仕事をすること」がめんどくさかった。 いつもの仕事をすること自体はそんなに死ぬほどめんどくさいことではないのです。
ただ、友達と遊びに行ったりご飯へ行ったりすることは、やっぱりというか実はというか、③でした。その理由も考えました。「ただ楽しいだけだから」だと思います。
わたしが好きなのはただ楽しいことではなくて、感動することなのです。心が、ぐらぐら、ゆらゆら、わくわく、どきどき、ずきん、きゅんと動くことなのです。
だから同じ「ご飯」でも、ただ昔仲良かった子と世間話をする、じゃなく、好きなことをめちゃくちゃしてる人とお話して、「わたしももっとこんなことしてみよう!」とわくわくすることは大好きです。
こう思い至って、わたしは、「よし、これからはほんとうに好きなことだけして生きていこう。」と決めました。
そういえば約束してたんだった、めんどくさーい…と思うのはもうやめます。
目先の辛さやしんどさに負けて、本当にしてみたいことややりたいことを避けてしまうのはもうやめます。
時間は有限だから。いつもいつも何かを楽しみにわくわく生きてゆけたら、それが一番素敵だから。
カルピスの原液を、氷の入ったグラスで飲むのが好きなんです。笑
氷は作ったら無くなっちゃうからまた水を張らなきゃいけないし、グラスは洗わなくちゃいけなくなる。でも無くなったらまた作ればいいし、ちょっとめんどくさくてもグラスなんてすぐ洗えばいいんです。
そのめんどくささや手間と、好きなように好きなものを飲む楽しさや喜びのエネルギーみたいなものって、全然イコールじゃない。
伝わるかな笑 飲みたい!って思ったものを飲むことって、そのめんどくささや手間の何倍も価値のある喜びなんです。反対に、めんどくささや手間を思って飲むのをやめることって、めんどくささや手間の他に「ほんとうは飲みたかったけどやめた、我慢した」っていうストレスも加わるので、そっちのほうがむしろ損だったりするんです。
その「めんどくささに負けた」経験が少しずつ少しずつ降り積もれば、心はどんどん腐ってっちゃって、最後には結局何がしたかったかわからない人生になってしまうような気がします。
だからね、好きなことだけして生きていこうって今日、決めました。ほんとうに好きなこと、やりたいことをちゃんと見極めて、やっていこうって。
ちなみに今は桃のにおいのコーラを飲んでます(^^)。 おいしい〜。わたし桃大好き。
今日はあったかいですねぇ。春になっていくなぁ。だからなんとなく、気持ちが上向いてるのかな!
わたし
「自称・永遠の17歳」は真実になる
音楽活動を始めてから、今まで知らなかったアーティストとかアルバムを聴くことがこわくなっていました。「プロとこんなにも差がある」ということをまざまざ実感することや、嫉妬することがこわかったんだと思います。
でもこの前、彼の車に乗っていた時、彼がおもむろにかけた ♪オセロ/藍坊主 がとても良い曲で、すごくすごく感動しました。涙がたくさん出て、その後かけてた曲も全部、素直に「良いなぁ」って思えました。
それでなんとなく思い出して、中学生高校生の頃、毎週TSUTAYAに行っては20枚くらいアルバムを借りて、通学中にひたすら聞く…という生活をしていたと彼に話していたら、ふと、「あの頃、それがすごく楽しくて、あの頃のおかげでたくさんの曲を知ることができて、青春だったし、それが今の大きな糧にもなってるんだ」と気付きました。
朝もとても良い気分で、どうしたらいつでもああやって曲を聴けるんだろう…と考えました。わかりました。「勉強させていただきます!」って思ってればいいんです。
今のわたしでこの人には勝てない…って気持ちになるのがこわいのなら、今勝とうとしないで、「良いところ全部もらっていきまーす!ありがとー!☆」って吸収しちゃって、いつか勝てばいいんだって。「わたしは今成長期だから、これを吸収して、どんどん成長して、そのうち勝てる」って勝手に思い込んで、自分の中の真実にしてしまおうって思いました。 まず自分の中の真実にしてしまえば、後から本当にそうなると思うし、そもそも真実なんて自分の世界で真実でさえあればもう真実だと思うし。
自称・永遠の成長期って思っておくことにします! ほんとうはもう25歳になるんだけれど笑 でも思い込んで思い込んで、そのうち本当の歳を忘れちゃってもいいやって思うし、心で思い込んだら体の方も勘違いして、肌とかもつやつやに若返るかもしれない笑
わたし
彼氏以外と遊んでいても楽しくない
この頃の新たな小さな悩み事。
友達と遊んだりご飯食べたり、ということに心が踊らないんです。
中学生の頃はなんとなく家の暗黙のルールで、遊ぶのは月1回だけって決まってて。だからその月1回が、うれしくって、楽しくって…。
大人になって、自由に遊べるようになったのに、今度は楽しくないんです。うまくいかない笑
高校の頃の友達と会って話すと、年代的に、「最近どう?」「仕事楽しい?」「彼氏と結婚とか考えてるの?」って話になる。話にしか、ならない。 同年代の友達じゃなくても、まあ大体、そういう話。「彼氏と結婚考えてるの?」の部分があるかないかくらいの違い笑
正直そんな話別にどうでもいいんです。 これがもし、今まであまり話したことのない人だったら、そういう話どんどん聞きたい。どんな人なんだろう、どんな人が好きなんだろう、どんなことが好きなんだろうって。 でもよく見知った友達の、しかもかなり現実に寄った話。
実りがないんです。話してても「これ話して何の意味があるの?」。解散しても「この時間何の意味があったの?」ってなってしまう。
話し方にも因ります。 なんかすごく、楽しくなさそ〜に話すんですみんな。 付き合ってる人のこと、今の仕事のこと。好きなら「めっちゃ好き♡♡♡」って話せばいいのに、楽しいなら「めっちゃ楽しい」って言えばいいのにって思う。好きだけど…って悩んでたり、楽しくない、どうしよう…って考えてる最中ならたくさん話を聞きたいんですが、「あいつってほんとこうなんだよね。ま、いいんだけどさ」「仕事なんて全然楽しくないよ。ま、別にいいんだけどね」って話し方だと、なんか煮え切らないし、悲しくなってくるんです。で、「何の為の会だったんだ?」ってまたわからなくなる。
ただ全員が全員そうじゃなくて、たとえば①創作的な活動を(趣味でも仕事でも)してる人の話を聞くのはすごく好きだし、会いたい、遊びたいなって思います。そういう人にはきらきらしてる人が多いから。 あと、②好きなことを思い切りやれてる人。 ③燃えるような恋をしてる人。 生き生き、きらきらしてる人は大好きです。 わたしもそうなりたい、好きなことを追いかけることにおいてあなたに負けないぞって思う。そういう人と会えた後は、なんとなく自分の目もきらきらしている気がします。わくわくできます。
それから④物の見方が独特でおもしろい人。こういう人とは一緒にいるだけで楽しい。普段見る何気ないことが全部特別に思えて、住宅街を歩いているだけでも遊園地にいるみたいです。 他には、⑤素直な人。子供みたいに無邪気な人は、見てるだけでかわいくて、愛らしくて、ほっこりできるので、大好きです( *´﹀`* )
おそらく友達と会って楽しくないのは、わたしがそういう人をこの頃見つけられてないからかもしれない。でも人は自分の写し鏡だから、まずは自分がきらきらすることですね。きらきら。
人といて楽しくない理由は、たぶんもう一つあります。 この頃、ギターがすごく楽しいんです。
最近、 ♪染まるよ/チャットモンチー のスコア(楽譜)を引っ張り出してきて、買った時には全然弾けなくてやめてしまったギターパートを、試しに弾いてみたんです。そしたら前よりずっと弾けるようになってて、それがうれしくて、楽しくて。 弾けるようになってきたら、ギターフレーズがいかに洗練されてるか、それがどんなにかカッコよくて美しくて切ないかってことが染みるようになって。
それが途轍もなく、楽しいんです。 弾けることも染みることも、全部引っくるめて。
だからなんとなく人と話してても、「ギター弾く方がいいなぁ」って思うのかもしれない。
わたしほんとうは、人と話すの、大好きです。人の話を聞くのが好き。 でも上回るくらい、今、ギターが楽しいです。
それはそれで、良いことって思っててもいいよね。
音楽がとても、とてもとても好きなんだと思います。
ギターもそう歌もそう、バンドもそうソロもそう、弾くことも作ることも聴くことも、全部全部。
「誰にも負けないくらい」という程度はピンとこないけれど、言うならば、「途方も無いくらい」。 平面的じゃなくて立体的というか。地球の表面全部!とかじゃなくて、地球まるごとって感じで。多角的に、いろいろな意味で。 よくわからないですね笑 とにかく果てしなく。
こうやってずっと、思うまま音楽を追いかけていけばいいですね。そしたらきらきらしていられる気がする。
わたし
在宅の仕事を探してみた
家で好きな時間にお仕事ができればつらさはなくなるのかなぁ、と思って探してみたら、ありました。お家でできるライターのお仕事。
でもなんだか、つらさはなくなりそうにありません。笑
わたしは文章を書くことが好きだし、得意です。自慢にできる数少ない特技笑 読書感想文はほぼ選ばれて賞を取ったし、代表委員の演説も中学の卒業式の掃除もほぼ手直しナシでした。
好きで得意だからこそ、強要されたくないし、好きなことを書きたいなとふと思った。 ほんと融通きかない笑 やるよりやらない方がまだストレス少ないかもって感じました。 難しい笑
やっぱり何をやるかじゃなくて気持ちの問題なのかなぁ。
わたし
出勤するというさびしさ②
さっきの記事を公開してからふと、「出勤することがなぜそこまでさびしいんだろう?」と考えたのですが、わかりました。「好きな人を置いていくから」です。
さっきの記事にも書きましたが、わたしは派遣なので、職場にことさら仲の良い人、気心の知れた人というのはいません。
これがもし彼が同じ会社の人であれば、わたしは家にいるより会社に行く方がずっとずっと心踊ったでしょう。さびしくなかったでしょう。
彼じゃなきゃダメというわけでもなくて、きっと仲が良くて「気を許してもいいんだ」って思える人が出掛ける先にいればつらくないのだと思います。さびしくないのだと思う。 実際、家族より友達に気を許せる子だったわたしは、学生時代、家にいるより学校にいる方が好きでした。 朝早くても、通勤に1時間かかってもすごい満員電車でも、それが毎日でも、何もつらくなかった。
やっぱり"さびしさ"がネックなのだと思います。
ああつらい…。在宅でお仕事したい。
出勤するというさびしさ
このところ仕事がなかったので、今日、ほとんど一週間振りくらいの出勤です。
出勤する、ということがとてもストレスです。
朝早く起きるのも嫌。
たくさんの人に揉まれるのも本当に嫌。
それだけのためにたくさんの時間がとられるのも嫌。
その間の、仕事をするんだ…という緊張感も嫌。
帰りは帰りで、やっぱり時間がかかるのは嫌だし、満員電車の中で疲れ果ててるのも嫌。
わたしの仕事は派遣のバイトなので、不定期だし、ほとんどいつも初対面の人とのお仕事です。
もちろん同じ案件で顔見知った人に会うことはあるし、知ってる派遣仲間さんもいるけど、それでも2、3回会った程度。
おまけにわたしは都心からすごく遠いところに住んでいて、案件は都心にしかないので、通勤時間もとても長いんです。
さらにさらに、わたしはHSPという体質…?みたいなものらしく、人より刺激やストレスを感じ取りやすいんです。
仕事がつらいです。なかなかつらい。
で何がつらいのか歩きながら考えたんですが、
上に挙げたこと、
そして何よりも、"さびしさ"がつらいんです。
この"さびしさ"というのがわたしにとって難敵でして、
実は彼との同棲に踏み切るきっかけになったのも、この"さびしさ"だったりします。
同棲する前は、時々、謎の絶望的な"さびしさ"に襲われることがありました。
季節の変わり目とかに多かったかもしれない。その度に事情を知っている友達や彼にLINEをしては話を聞いてもらっていました。
この絶望的な"さびしさ"の原因は未だにわかりませんが、おそらくわたしの家庭が機能不全家庭で、わたしがアダルトチルドレンであること、24年間人に甘えるということがよくわからないで生きてきてしまったことに何か理由があるのではないかなと思います。
同棲を始めてから、この絶望的な"さびしさ"を感じることはなくなりました。それでもどうしても、あれほどではないにしても、さびしくて身が切れそうになることがあります。それがたとえば、出勤する時。
彼より早く起きて、眠る彼をそのままに家を出る。
わたしが仕事がない日は、彼と同じタイミングで起きて、仕事へ行く彼を玄関で見送ります。だから朝、話す時間があります。 それと比べると自分の仕事がある日がさびしいし、なんというか、虚しいんです。「なんでこんなことしてるんだろう」って。9時からの仕事のために6時に起きて、2時間かけて通勤して、仕事だって好きでしてるわけでもないし、おまけにこんなにさびしくて、なんでだろうって。
つらいです。ふふ。ほんとにつらい。 なんだか笑っちゃうくらいにつらい。
今は在宅で仕事ができるよういろいろ始めてみてるのですが、それでも軌道に乗るまでは今の生活を続けなくちゃいけない。つらいのは今だけかもしれない、でも乗り越えるまでずっとつらいんだろうなと思うとすごく苦しいんです。
今よりほんの少しでも楽になれる時がほんとうに来るのかな。